「食」を変えると人生が変わる
この世界は「気」で、できています。
「気」とは、生命エネルギーのこと。
生命エネルギーとは、本来、太陽の “光” から得られるエネルギーです。
(私たち人間を含む)あらゆる生物は、
太陽エネルギーが生命活動の源になっています。
「気」のメカニズム(物理空間の気)
その太陽エネルギーを、地上で蓄えているのが “植物” です。
植物は “光合成” をします。
光合成とは、二酸化炭素と水から、
糖類などの有機化合物と酸素を生成する生化学反応のこと。
その過程で、植物にエネルギーが蓄えられます。
このエネルギーが、生命エネルギーです。
では、植物に蓄えられた生命エネルギーはどこから来たのか?
それが、まさしく太陽エネルギーなのです。
-
太陽エネルギー
↓
二酸化炭素、水
↓
光合成色素を持つ「植物」
↓ ここで増加したエネルギー=生命エネルギー
有機化合物(糖類)、酸素
↓
動物、人間が食べる
私たち “動物” は、太陽エネルギーで作られた
植物(穀物や野菜、果実など)を食べて、生命を維持しているわけです。
私たちが食べる牛や豚などの肉類からは、直接ではなく、
間接的に太陽エネルギーを取り入れていることになります。
また、私たちは、呼吸をします。
酸素を体の中に取り入れることでエネルギーに変えています。
ということは、つまり、
「気」=生命エネルギー=太陽エネルギー
だといえます。
私たちが “食べる” ことで生きられるのは、
太陽エネルギー、即ち “光” から得られるエネルギーのおかげなのです。
情報空間の「気」
「気」は物理空間だけでなく、「情報空間」にも存在します。
情報空間とは、人間が頭の中(=心)で考えている空間のこと。
その、心に生じた「気」は、人間同士お互いに感応します。
例えば、誰かが、憎悪や敵意に満ちた “殺気” を放っていると、
他人にも感応し、その場は不穏な空気に包まれます。
逆に、みんなが穏やかな「和気」を発していると、
その場はなごやかな空気に包まれるでしょう。
つまり、情報空間の「気」は、人の心の持ちようで
良い気になったり、悪い気になったりするのです。
この「良い気」のほうが、正(プラス)の生命エネルギーであり、
“光” のエネルギーだといえるでしょう。
- 逆に “悪い気” は、負(マイナス)の生命エネルギーであり、
“闇” のエネルギーです。
「物」の「気」
「気」の定義を、情報空間(心の世界)にまで広げると、
生物以外の「物」にも「気」は存在します。
といっても、「物」自体から「気」を感じるのは、
人の心が作り出している「情報エネルギー」です。
例えば、一見ただの石でも、
「この石には、何かしらのパワーがある」と、
人の心が情報を持たせることで、パワーストーンになります。
そう、その「物」が、その人にとって良い情報
(「役に立つ物」また「大切に思っている物」)であれば
「良い気」を感じます。
逆に「その石はただの石ころ」という情報を持たせると、
その人にとって不要な役に立たない物になり、
それは「悪い気」(=邪気)を放つのです。
つまり、その人にとって、
必要な「物」、役に立つ「物」、大切な「物」は、
良い気をもらえる “光” のエネルギーです。
何を食べればいいか?
(ここからが、やっと本題です ^^;)
以上のように、「気」というものの正体を明らかにしていくことで、
人は、何を食べればいいのか?
何を食べれば、健康で幸福な人生を過ごせるようになるのか?
という問いに、自ずと答えが出てくるでしょう。
それは一言でいえば
食べ物から「光」(=良い気)をいただく
こと。
良い気をいただくとは、物理的な観点から言うと、
身体(からだ)に必要で “有用な” 食べ物、
すなわち、「生命エネルギー」になるものを、
偏りなくバランスよく摂取すること(=中庸)です。
生命エネルギーになるものとは、自然の食べ物です。
化学合成による食品添加物は、生命エネルギーにはなり得ません。
太陽エネルギーで作られていないから。
- 現代においては、完全に天然の食材だけを食するのは困難、
という現実はありますが)
できるだけ自然に近い食べ物の、
“素材そのもの” もしくは、
“素材の味・力(=光、生命エネルギー)を生かした料理”
をいただくのが理想的です。
あと、先にも述べたように、
情報空間の(心に生じる)「気」は、人に感応します。
人から人へと「気」はうつるのです。
そうすると、ベタですが、やはり
「愛情のこもった料理」
を食べることが、「光」(良い気)をいただくことになります。
だから、家庭でお母さんが、
心をこめて作る「おふくろの味」は最強なのです(^^)。
日本人なら...
特に、私たち日本人にとって、必要で “有用” な食べ物とは、
日本の伝統的な料理です。
ご飯(お米)と、お味噌汁・梅干し・ぬか漬け・納豆などの発酵食、
それに煮物や和え物などの野菜を中心にした料理...ですね。
なぜ、日本の伝統的な料理がいいのか?
まず、日本は「水」に恵まれた国です。
良い水があるから、美味しいお米や野菜が育ち、
お味噌・醤油などの発酵食もお水によって生かされ、
日本食として定着してきました。
また、日本には「旬(しゅん)」という食文化があります。
素材が最も美味しくなる時期=「旬」の素材は、
その素材の “力” が最大限に高まっている、まさに「光のかたまり」。
そして、日本の食文化の基本は「菜食」であること。
日本の伝統的な料理は、
穀物、根菜、葉っぱ、果物、山菜やきのこ、豆、海藻、が中心。
これらの食材は、体に良いミネラルやビタミン、食物繊維が豊富です。
私たちはもともと肉や魚はそれほど摂らず、限りなく菜食なのです。
そうした、日本の風土が育んだ伝統的な料理こそが、
私たち日本人にとって、最も「光」(良い気、生命エネルギー)に
満たされた最高の食事だといえるでしょう。
どう食べればいいか?
さらに、食べ物から「光」(=良い気)をいただけるかどうかは、
食べる本人の “心のあり方” (あるべき心の状態)も大きく影響します。
料理がいくら良い気に満たされていても、
“食べること” 以外に心が向いていたり
(例えば、テレビやスマホを見ながら食べたり)、
食べる人の心が汚れている(邪気がたまっている)と、
せっかくの食べ物の「光」がいただけません。
では、どう食べれば「光」をしっかりいただけるのか?
最も簡単な方法は、
作り手の愛情がこもった(日本人なら、お米ご飯に、
お味噌汁、漬物、その他 “旬” の食材を中心とした)料理を、
「ありがとうございます、ありがたくいただきます」
と、感謝しながら食べること
です。
なぜ感謝しながら食べると良いのか?
感謝の効力については、
“言霊” や “引き寄せの法則” 的な解釈もありますが、
ここでは、“心身のメカニズム” の視点から...
「ありがとう」
この感謝の一言が、“医学の世界” で注目されているそうです。
「感謝」とは、“肯定的” な心理状態です。
それは、相手や対象に「愛」を抱いた状態。
心が “肯定的” な状態になったとき、身体の中では、
交感神経の緊張が解けて、副交感神経が優位な状態になります。
すると、快感ホルモンのエンドルフィン、
感動ホルモンのドーパミン、
さらに理性ホルモンのセロトニンも分泌されるそうです。
「ありがとう」の一言が、快感、感動、理性を心身にもたらして、
結果的に、生命力や免疫力を高めるのです。
「愛情」も同じような原理で、
心身を健康にする “至福感” を与えてくれます。
逆に、憎しみや怒り・イライラなど “否定的” な心理状態になると、
不快ホルモン(怒りのホルモンとも呼ばれる)の
アドレナリン等が分泌されるそうです。
なんと、この不快ホルモンには、毒蛇の毒の3~4倍もの毒性があるとのこと。
つまり “否定的” な心は、体内に「毒」を発生させるのです。
食事をするときの “心の状態” は、
健康や幸福にも大きな影響を及ぼすんですね。
「ありがとうございます、ありがたくいただきます」と
感謝しながら食べることは、
食べ物の「気」(生命エネルギー)に加えて、
生命力を増幅させる “栄養補強” です。
そして何よりも、料理が、より “美味しく” いただけます(^^)v。
まさに「感謝」は、人に幸福をもたらす「光」のエネルギー!
“食べ物” と “食べ方” を変えれば、人生も変わるのです。
料理を作る際に大事なこと
料理を作る側に立ったときも、同じです。
料理を作る人の “心のあり方”(あるべき心の状態)が、
料理そのものに、また食べてもらう人にも、大きく影響します。
料理の味は何で決まるのかといえば、
- 素材の「気」
- 料理を作る場所、食べる場所の「気」
- 料理を作る人の、想念の「気」
- 料理を作る人の、生まれ持つ「気」
これらがブレンドされて、料理の味が作られます。
そもそも “料理” とは、
- 食材の命に人間が心をこめて、
人間の命に変わる “光” を引き出すこと」
料理をすることで、食材の命の「光」が燃え上がり、
それを食べる人間の “命の炎” となってくれるのです。
そうした料理本来の「光」を最大限に引き出したうえで、
- 料理を食べる人に、感動してもらい、感激してもらうこと
- 料理を食べる人に、活力を得てもらうこと
- 料理を食べた人に、子どものような笑顔になってもらうこと
それが、料理のゴール(目標)です。
美味しいものを作ろうとする必要はありません!
自分の技術ではなく、素材の「力」を信じて、その力を引き出すのです。
料理の真髄は、いわば「他力本願」。
計らい( “自力” の心)を捨て去り、
食べた人の安心感と、喜びと、笑顔を目指して、料理を作りましょう。
そのためには、料理に関わる人が、
食材に対して、縁起(※)の奇跡に対して、
常に “感謝の念” を抱きながら、
明るく、温かく、涼やかな想念(良い気)を保(たも)つ
- この世のすべてのものや事柄が、つながり(関係性)を持って
互いに支えあっていること
そういう “心のあり方” のほうが、
料理を作る技術よりも、遥かに大事になります。
「道」
「料理を作る」こと、そして料理を「食べる」ことは、
美味しさの追求と共に、
人は「食」に対してどう向き合えば、
“命の炎” を燃やし続けていけるのか
という哲学的なテーマでもあるんですね。
それは、“真の生き方・人としての在り方” の追求でもあります。
その答えが見出せる(かもしれない)金言が、
『この本』の中に記されています。
- 長文なので、一部だけ抜粋させていただきます。
-
道とは何か?
頑張らないことだ。
頑張れば頑張るほど、道から遠ざかる。頑張らないとは …
何か一つの出来事があるたびに、
いちいち答えを出してしまわないことだ。答えを出さないと落ち着いていられないのは、
大いなるもの(サムシング・グレート)に自分を預けきれていないからだ。あなたが無理やり何か答えを出した瞬間に
偽りの安心感がおとずれる。それは本当の安心ではない。
「ああ、しんどいなあ」と思ったら頑張りすぎている。
いいかげん=よい加減=どんぴしゃり=中庸なのだよ。
だから「ああ、しんどいなあ」と思ったら、中庸からズレている。
「しんどいなあ」を無視してはいけないよ。
もっと楽に。
もっと楽しく、
もっと力を抜いて。
それが第一歩だ。
頑張って得られるものは何か?
満足感だ。
では失うものは?
それ以外のものすべてだ。
人生で大事なこと、それが何かがわかって生きている人は、
めったに頑張らない。めったに頑張らないが、たまぁに頑張らないといけないときがある。
それは、
- 人生で大事なものを守るとき
- 人生のゲームを楽しむとき
- 神がかるとき
いっけん、ちゃらんぽらんに生きている人でも、
人生で一番大事なものがわかって生きている人は
天命の99%を果たし終えている。あとの1%はわからないままでいい...
真の生き方・人としての在り方に、明確な答えはない。
いや、答えを見い出そうとしないことが、正解「ご名答」(笑)。
人生とは、
歩いたり、休んだり、時には全力で走ったり、
また時に後ろに下がったり、回り道もしながら、
( “絶対的な正しさ” に限りなく近い)「中庸」に
行き着くための「道」(プロセス)…
いやいや、無理やり答えを出すのはやめにしておこう...
-
中庸とは
過不足がなく、偏らず、調和がとれていること。
主観的な考えや偏見などで物事をとらえず、
客観的視点を持つことが大切である。そのためには、毎日を正しく過ごすように心がける。
- 「中庸」には、明快な答えはない。常に未完成 …
この記事は、『いのちのごはん』という本を読んで、
学んだこと(のごく一部)を、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。
個人的な解釈や、勝手な補足もずいぶん入っているので、
この本に書かれている真意とは、少しズレているかもしれません。
「食べる」ことや「料理」の奥義・真髄にふれてみたい方は、
この本を実際に読んでみて “感覚” ごとインストールしてみてくださいね。