思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

釈迦の教えを、現代に活かすには?

釈迦の悟りの核心

釈迦が発見した悟りは「縁起」です。

縁起とは「因縁生起(縁に因って生じて起こる)」のことで、

一切の物事は絶対的には存在せず、他との関係において成立している

ということを意味します。

例えば、自分が今ここに存在しているのも、

両親がいて、両親の各両親(祖父母4人)がいて、
その各祖父母にまたそれぞれ両親(曽祖父8人)がいて...

そうやって遡っていくと、自分の十代前の先祖は1024人、
二十代前だと、実に104万8576人もの先祖がいたことになります。

それだけ膨大な数の先祖とつながって、「私」は今ここに存在しています。

さらに、生まれた土地、近所の人々、通った学校、職場、
そこで知り合った友人や知人、好きな食べ物や場所、読んだ本、
観た映画、聴いた音楽・・・などなど

時間と空間の広がりの中で「私」は、
ありとあらゆるものと関係性を結んでいます。

ありとあらゆるものとの関係性の中に、自分がいる
といってもよいでしょう。

このように、すべての存在は、きわめて多岐にわたる他の存在と、
網の目のような因果関係を結びながら、自分というものを形づくっています。

それらが膨大に積み重なって、この世界は形づくられているのです。

人には、自分が重要だと思っていることしか見えません
これをスコトーマ(認識の盲点)といいます。

しかし釈迦は、「縁起」という原理を知ることによって、
宇宙のすべてを同じ重要性で見ることができたのです。

つまり、完全にスコトーマが外れたんですね。

これが、釈迦の悟りです。

釈迦の悟りは、大乗仏教でバージョンアップした

この釈迦が悟った「縁起」は、後に釈迦の仏教から分裂した大乗仏教で、
」という思想に発展しました。

すべてのものが関係で成り立っているということは、
それぞれの事物・事象は単独であらかじめ存在するわけではありません。

だから、先天的な(先立って与えられている)ものや、
未来永劫変わらないものなど、この世にはない。
普遍的な実体などというものもない

それが「空」の思想です。

「縁起」の思想と「空」の思想を、一括りにしていうならば

すべてのものは、他との関係性の網の中で作られていて
普遍的な実在などない

という考え方です。

この世界は「あるともいえるし、ないともいえる」空の世界なのです。

そしてこの空の世界では、ありとあらゆるものが、ダイナミックに
常に変化しながら存在しています(諸行無常)。

つまり、私たちは縁起(すべてが互いに何らかの関係性を持つこと)によって
成り立つ、

「空」というかりそめの世界
(=実体のない情報空間、ホロスコープのような世界)に生きている

ということになるのです。

悟りのステップ

以上述べてきたように、

世の中のすべてが「縁起」で紡がれており、すべては「空」だと知ること。

これが悟りの最初のステップ「空観(くうがん)」になります。

すべてのものは「空」であるという悟りを得たら、

今度は、そのありとあらゆる空なる存在に対して「役割」を持たせます

つまり、世の中のすべての存在は
「空」(実体のないホロスコープのような世界)だけれども、
そのことを理解したうえで、自分の役割を見出し果たしていく

それが「仮観(けかん)」という概念です。

この「空観」と「仮観」を理解し相互を絶え間なく繰り返して
バランスを維持していく
状態が、「中観(ちゅうがん)」です。

これら三観(さんがん)を融合させ体得する、つまり、
空観と仮観を繰り返しながら深めて、
中観の理を知ることが “大乗の悟り” です。

  • この世界には実体があると思っているけど、
    心が生み出している存在にすぎない。それは縁起の結果である」
    というのは、小乗の悟り。

現代に生きる私たちは、その小乗の悟りだけではなく、そこから

いかに社会の中で役割を果たすか

という大乗(一切衆生の救済を目指す道)に向かうべきでしょう。

空観の修行法

今の時代の “切実な問題” 
釈迦が生きていた時代のような “” ではなく、
煩悩肯定煩悩に支配されていること)です。

現代における「空観」とは、苦から逃れるための方法ではなく、
煩悩肯定から逃れて抽象度を上げる(※)ための方法です。

  • 物事を、大きな括り(高い視点、長い時間軸)でみること。

映画や小説やゲームなど、現代ならいくらでもある
仮想現実(情報空間)に積極的に触れていくことが、
「空観」の修行になります。

例えば、あたかも現実で体験しているかのような
リアリティ(臨場感)を感じながら、映画を集中して観る。

そうすることで、

  • 実際に目に見えているものと同じリアルな世界を体験できるのなら
    目に見えている物理世界も実は、心が生み出した世界にすぎない

と、自分の肚(はら)にしっかりと落とし込むのです。

それが「空観」の理解を深め、自分の煩悩を制御することにもつながります。

真の幸福を得るには?

そのうえで大事なのは、自分がどういう機能を
社会や宇宙に対して果たすか、つまりゴールを決めること。

煩悩に支配されている現代において、真の幸福を得るためには、
自分は価値の高い人間である!」と、
心から思えるようになるしかありません。

そのために「仮観」によって、自分の役割を見出し、
社会に貢献できる機能を果たすのです。

煩悩に支配されるだけで誰の役にも立っていないとしたら、
それは存在していないも同じ

なのですから。

現代に生きる私たちは、「自分は社会に有用な機能を提供している!」と
心から思えないと、決して “真の幸福” は得られません

だからゴールが必要になるんですね。

ゴールとは、なりたい理想の自分” です。

「社長になりたい」とか「お金持ちになりたい」とかではなく、
現状の延長線を超えた、抽象度の高い目標のことです。

例えば、「世界のすべての人々を幸せにする!」ぐらいの抽象度。

そういった、一人でも多くの人たちの役に立つようなゴールを打ち立て、
そのゴールにつながること “のみ” にエネルギーを注いで生きるのです。

悟りによって「自分さえ嬉しければいい」という煩悩肯定から脱し

  • 社会の役に立つことこそが、自分の幸せにもつながる

という考えで自分なりのゴールを設定し、

それに向かっていく人が一人でも多く増えれば、

この世界はきっと変わっていくでしょう!

そもそもこの世界は、自分の心が生み出した情報空間ですから、
自分や世界を、どんなふうにでも書き換えることができるのです...

 

この記事は、(釈迦原理主義者を自称する)Dr.苫米地の著書
この本や、この本 など)から学んだことを、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

僕の勝手な解釈も入っているかもしれないので、
そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、「この考え方、興味深いなぁ」と思われたなら、ひとまず

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...