思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

釈迦の教え「真理のことば」

人生は思い通りにいかず世の中は苦しみに満ちている

その苦しみの原因は「煩悩(※)」である。

  • 肉体や心の欲望他者への怒り・うらみ執着偏見など
    心身を悩まし、乱し、煩(わずら)わせ、惑わし、汚す “心の作用” をいう。
    人間の苦の原因とされる。

この煩悩を断ち切ることで、苦しみは消える

そのためには、「正しい修行(※後述」による実践(訓練)が必要だ。

苦しみから抜け出すには?

釈迦は、煩悩には大本(おおもと)があると説く。

それを「無明」と称した。

「無明」の明とは、この世の有様を正しく見ていく力のこと。
それが無いことが「無明」(=愚かさ)。

つまり無明とは、自分勝手に解釈して、
物事を正しく見ることができない
、ということ。

人生を自分中心の世界にしてしまうから
「無明」の状態になり苦しみが生まれるのだ。

だったら、世界は「私」が中心である、という固定観念を捨てればいい

そうして物事を正しく(ありのまま)に見れるようになれば
無明(愚かさ)から抜け出すことができ、苦しみから解放される。

世界に実体はない

世の中のすべてのものは常に変化してゆく(諸行無常)。
一瞬一瞬にすべてのものが生まれて消えていく。

また、世の中のすべてのものは、因縁によって生じたものであって、
そもそも実体はない(縁起諸法無我)。

つまり、自分が見ているものすべては、
常に変化している “かりそめの世界” 
であり、
「私」という実体もないのである()。

先入観を一切持たず、観客席から映画を観るように

私は「空」、世の中も「空」として見ることで、
真実を客観的(ありのまま)にとらえることができるのである。

執着を捨てる

そうやって “抽象度を上げて” 世界を見ると、
この世の中は、原因と結果の因果関係によって
粛々と動いていることがわかるようになる。

世界は私に合わせて動いてはいない。

すると、自分勝手な世界を作って執着することは意味がない
ということもわかるようになるのである。

そうした真理の世界に溶け込める(感覚として完全に理解できる)よう、
日々 “正しい修行” による訓練をして、心の持ちようを正していこう。

ただ、真理に身を任せて生きるのだ!

そのためには、自分中心の世界(自我)を捨て去ろう

執着を捨て去った純粋な “意思” のみが、自分を正しく制御する

自分の救済者は “自分自身” なのである。

※「正しい」修行とは?

釈迦は、苦の原因を滅する(悟りを開くための)正しい修行法として、
八つの行い「八正道」を説いた。

八正道

  • 正見:

    正しいものの見方や見解を持つこと

  • 正思惟:

    真実やものの道理を正しく考えること

  • 正語:

    嘘や悪口を言わず、正しい言葉を発すること

  • 正業:

    盗みや殺し屋や飲酒、邪な行為を避け、正しい行いをすること

  • 正命:

    善行に努めた正しい生活を送ること

  • 正精進

    正しい努力をし過ごすこと。

  • 正念:

    正しい知識を心にとどめ忘れないこと

  • 正定:

    正しい瞑想を行い、精神統一すること

この八正道における「正しい」の基準は、色んな解釈があると思うが、

この世に絶対的なものはない」とする釈迦の教えから鑑みると、

極端な考えや行動に偏らず、
バランスのとれたものの見方・考え方=「中道」=「正しい」の基準

になるかと思う。

だとすると、

正しい」ものの見方や見解を持つこと

  ↓

偏らずバランスの取れた」ものの見方や見解を持つこと

正しい」行いをすること

  ↓

極端な考えや行動に偏らない」行いをすること

というふうに言い換えると、少しイメージしやすくなるだろう。

>> 「正しい行い」(正義)とは何だろうか?

>> 釈迦の悟り” の核心とは?

 

この記事は、ブッダ真理のことば』から学んだことを、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、「この考え方、興味深いなぁ、取り入れたいなぁ」
と感じるような内容があれば、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...