「荘子」の教え ~自由自在の生き方~
自由になるには?
自由とは?・・・何事にもとらわれず、束縛から解放されている心の状態。
それはあたかも、砂場で一心に砂遊びをしている子どもの境地である。
そんな心の自由を取り戻すには、どうすればよいか?
人は年を重ねるにしたがって、常識や固定観念に縛られて
苦しみ悩むようになる。
それって結局は、自分で自分の首をしめているにすぎない。
つまり苦しみの原因は、「私」(というフィルター、自我)である。
ということは、その「私」をなくせばいいのだ。
では、私をなくすためには?・・・
→ 人生という物語の主人公になればいい。
「主人公」とは、元々禅の言葉で、
本来の意味は、“自分をなくしてそこに没頭できる人” のことを言う。
この自分をなくすというのは、窮屈な「小我」を捨てるということである。
小我を捨てるためには、まず競争のなかに身を置くのをやめること。
そして、主張するのもやめること(和して唱えず)。
小ざかしい知恵や意思を捨てて(自我をカラッポにして)、
自然の理(ことわり)にしたがうのだ。
「遊」→ もちまえ
そのためには、私の「無意識」の部分に身を任せて
生きられるようになる必要がある。
無意識は、自然の理(=道)に通ずるからだ。
自分をなくして何かに没頭し続けると、
それがやがては “身について”、無意識でできるようになる。
(自転車を自在に乗りこなせるように)
そこまで行くと「遊」の境地になる。
反復練習 → 身につく → 忘れていい → 無意識でできる →「遊」
この「遊」という “無意識の領域” で何かができるようになれば、
それが自分の「もちまえ」になるのだ。
習慣化して、継続して、身につけて、“もちまえ” にする
万物斉同(ばんぶつせいどう)
自然の理=「道タオ」は、とてつもなく広大なエネルギーである。
荘子はそれを「渾沌(こんとん)」と表現した。
渾沌とは、水が渦巻いているような状態で、常に変化し続けている。
(諸行無常)
そもそも渾沌には、上下の差別や隔てがない。
自分と他人はもちろん、
人と物も、現実と夢も、生と死も・・・みな一体なのである。
万物はみな、あまねくひとしいのだ(万物斉同)。
すべてを受け入れる
この広大無辺な「万物斉同」の「道」をすべて受け入れよう。
常に変化し続ける渾沌に身を任せよう(つながろう)。
すべてを受け入れると人は最も強くなれる!
もちろん、社会のルールも受け入れる必要がある。
受身こそが最強の主体性なのだ。
未来を憂うことはやめよう!
未来のことなんて誰にもわからないのだから。
その場その時の状況に身を任せながら、
“もちまえ” を発揮して生きればいいのだ!
“今” に没頭する、“今” を遊ぶ
それこそが、心の自由を取り戻し、現代を楽しく生き抜く極意なのである。
この記事は、『荘子』の教えから学んだことを、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。
個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)
もし、「この考え方、面白いなぁ」と感じるような内容があれば、
あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...