思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

天皇論

天皇とは何か?

天皇とは、日本国の「象徴的存在」であり、宗教を司る最高権威」である。

  • 象徴とは、形のないものを形のあるもので表現すること。

例)「平和」の象徴「ハト」、「キリスト教」の象徴「十字架」

一方、権威” とは、

  • 他者を服従させる威力、もしくは
  • その分野で能力が抜きんでて優れていると、
    他者から信頼され認められていること。またはその人。

という意味だが、天皇における権威は、後者(2.)の意味合いの方が強く、

誰もが信頼&尊敬できる、能力と “徳を積んだ” 人格

といった方が、より的確であろうと思う。

そういう意味で、宗教を司る「最高権威」とは、

日本国の神

ということもできるのである。

その「天皇=日本国の神」論については、後ほど述べるとして...

権威の必要性

そもそも、人間社会において “権威” って必要なんだろうか?

1.の他者を服従させる威力 “だけ” の権威なら必要ないが、

2.の “徳を積んで” 信頼されているという意味での権威は必要である。

なぜなら、その真の意味での “権威” が中心(核)にあれば、
その国や社会の秩序は自然に保たれ、安定するから。

そして、各個人の心の拠り所(精神的支柱)としての権威が
胸に刻まれていれば、社会が安定するばかりでなく、
(相乗効果が起きて)社会が繁栄の方向に向かう

  • 相乗効果とは、異なる個性を持つ者同士が、抽象度を高めることによって
    新たな価値が生み出されること。

真の権威(=徳積みの価値観)が、社会の中心(核)にあると、
各個人の価値観・抽象度も高まる。

個人と社会・環境(思想やパラダイムも含む)は、
不可分の関係にある
ので、
権威によって相乗効果が生まれやすくなるのである。

天皇の存在意義

ただ、象徴や権威といった感覚的な概念は、現代社会では理解されにくい。

近代合理主義” 的な(唯物・即物的で論理・理性を重視する)
価値観で捉えると、天皇の存在価値は見い出せないかもしれない。

しかし理性や論理だけで、世界を把握することなんてできやしないのだ。

相対性理論量子力学でも、宇宙と物質のすべては解明できていないし、
人間の意識のメカニズムも、まだまだ未知の領域。

物事の真実・真意を見定めようとするならば、
科学では証明不可能な(人知を超えた)、例えば魂や神なども対象とする
形而上学や東洋哲学的なものの見方・考え方も必要になってくる。

そうした理性も感性もひっくるめた “大きな視点” 
(分別智と無分別智)で捉える
ことで、天皇という存在の重要性が見えてくる。

天皇は、空気や地面と同様、なくてはならない存在だということが。

天皇=日本国の神」論

天皇を「現御神(あきつみがみ )」とする観念は、古代から存在する。

  • 現御神とは、現世にその姿を現している神、という意味。

この観念は、キリスト教の「絶対神(GOD)」とは違うものである。

また支那の「神(しん 」とも違う

  • (しん)とは “自然界の不思議な力” を持つ物や心を表す。

日本では、とてつもなく貴重な人のことを神様と呼ぶ。

例えば、手塚治虫氏は “漫画の神様” 
松下幸之助氏は “経営の神様” と呼ばれた。

現御神の観念もこれと同じようなもの。

つまり天皇は、日本にとってとてつもなく貴重な存在という意味で
日本国の現御神(現世にその姿を現している神)」なのである。

天皇はなぜ、とてつもなく貴重な存在なのか?

天皇(皇室)は世界で唯一、万世一系のいわゆる “一王朝” である。
世界最長の王室」とも言われている。

  • 万世一系(ばんせいいっけい)とは、
    初代・神武天皇から第126代今上天皇まで継承され、
    そして今後も永久に一系統で続いていく、ということ。

幾千年の歴史を経て、今現在もその万世一系の子孫が連綿とつながって、
国の最高権威者の地位にある。

そう考えると天皇はまさしく、世界にも類を見ない貴重な存在なのである。

ちなみに、ヨーロッパ王室の場合、その起源はよそから来た征服者。
例えば、イギリスのエリザベス女王はドイツ系だし、
スウェーデン王室はフランス系。

そうした征服者による王朝国家では王と国民が対立関係になるので
革命が起きる。革命とは “王朝が変わる” こと。

しかし天皇は国民と対立関係にないから、
日本では革命(=王朝が変わること)が起きない。

革命が起きないので、国が安定しているのだ。
現に日本では過去に、国内での大虐殺が起こっていない。

  • 大虐殺といわれている、織田信長比叡山焼き討ちにしても、
    日中戦争の南京戦にしても、多く見積もっても数千人単位の虐殺だった。
    (そもそも虐殺があったかどうかすら疑わしい、という説もある)

例えば支那の場合、革命が起きるたびに “数千万” 単位で国民が殺されている。
革命で、前王朝が徹底的に破壊されるためだ。

ヨーロッパではそこまでの超・大虐殺は起きていない(?)が、
民族と宗教の対立によって多くの虐殺が行われている。

なぜ天皇は、国民と対立関係にならないのか?

天皇は、支那の皇帝やヨーロッパの国王のような “絶対権力者” ではない

そもそも天皇は皇帝(エンペラー)ではなく、
祭司王」(=宗教を司る最高権威)なのだ。

  • 祭司とは、神様の儀式を取りしきる人のこと。

その祭司王である天皇の、最も重要なおつとめは、祭祀(※)を行うこと。

  • 祭祀とは、神や祖先を祭る(神霊を招いて慰めたり祈願したりする
    儀式を行う)
    こと。

その祭祀を通して常に、国土と民の安寧を祈っている。

さらに行幸天皇・皇后のお出かけ)によって、
国民と(特に障碍者や被災者を優先して)出会い、熱心に話を聞き、
励まし、慰める。

天皇は、国民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、
文字通り宝物のように国民を守り、常に幸福を祈っているのだ。

祈りと慰安的な貢献活動に一生を捧げる、まさしく「無私の存在」。

古来より天皇は、祭祀(祈り)行幸啓など(行動)によって
徳を積まれた” 聖徳者」であるが故に、その存在に自ずと
「権威」(信頼と尊敬)が築かれていった
のである。

そうした意味で、天皇はとてつもなく貴重な「日本国の現御神」なのである。

聖徳者である現御神との間で、対立関係になりようがない。

天皇は今後どう在るべき? ※個人的な考え

天皇には、「日本国の現御神」として、引き続き
日本人の精神的支柱であってほしい、と願う。

「祭司王」としての真の権威(信頼と尊敬)は、
国民の魂(心の奥深く)に定着されるべきものである。

日本という自然の恵まれた風土で “成り出(いで)” 
本来の「日本人の在り方」。

それは、決して力をひけらかすことなく、見返りを求めることもなく
他者に恩恵を与える
 “自然” に則した生き方。

そんな “日本人の精神” の象徴ともいえる天皇を通じて、
今や近代合理主義にすっかり染まってしまった我々国民は、

本来の日本人へと “ピュリファイ(浄化)” されなければならない。

今後の皇室については(私ごときが言うのはおこがましいが)

三種の神器(※後述)の継承と、祭祀・行幸啓をお役目とする伝統は死守し、
そのうえで、時代にふさわしい「皇室の在り方」を模索し続ける
 “永久的な微調整” を行う)必要はあると思う。

天皇は、国民を大きく和えて一つにまとめる大和」の役割を果たす、
いわば “和え衣” である。

国民一人ひとりが、日本人としての本来の民族性・精神に目覚めれば、

日本は、

天皇の権威もお借りし、バラバラに分断されつつある世界全体をも
大きく和える” 
ことのできる、極上の “和え衣” に、

きっとなれる...

※「三種の神器」とは?

日本神話において、天孫降臨の際に
天照大神が孫のニニギノミコトに授けたとされる、

八咫(やたのかかみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
天叢雲(あめのむらくものつるぎ)

のこと。

この神話の世界から伝えられてきた
三種の神器」を引き継いでいることこそが、天照大神に子孫である証。

神器を受け継がない者は、正式に天皇として認められない。

三種の神器は、神話の世界から現代の今上天皇まで
126代にわたって受け継がれてきた、世界最古の “ガリ” 
(=王位継承者である証となる象徴)

戦時中、昭和天皇が何よりも「三種の神器」を守ろうとしたのは、
ご自身の命よりもはるかに重要な、
二千年継承されてきた “日本国の歴史” を守ろうとしたのであり、

それは、国を守ることそのものだった。

三種の神器とは日本の歴史そのものであり、「民族の魂たましい」である。

もし三種の神器が消滅すれば、日本は日本でなくなる。

それほど重要な “日本の宝” なのである。

 

この記事は、小林よしのり天皇』から学んだことを、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

天皇論は論理を超えた “ものの見方・考え方” が必要で)
解釈が難しいと思いますが、少しでも参考になる内容があったなら、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...