思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

「菜根譚」~陰と陽の融合思想~

数ある中国処世訓のなかでも最高傑作といわれる『菜根譚(さいこんたん)』。

菜根譚は、儒教道徳に道教や仏教のエッセンスを
バランスよく取り込み “融合” 
させた独特の世界観であるが、

それはあくまで、人間社会の現実に立脚したものである。

混迷する時代を生きる私たちに、新たな息吹を吹き込んでくれる
知恵の結集” ともいえよう。

「逆境」が来たらラッキー!

菜根譚では、逆境こそが自分を成長させるチャンス!だと捉える。

逆境は良薬」「逆境は人間を鍛える溶鉱炉

長い時間をかけて力を蓄えれば、それだけ高く長く飛べる。

逆境は力を蓄える時なのだ!

逆に、順調な時には、思わぬ罠や破滅に向かわせる
マイナスの働きが起きやすい。好事、魔多し」とも言われる。

逆境はチャンス順境はピンチ

プラスとマイナスは表裏一体なのである。

うまくいっているときは舞い上がることなく
逆境になったときは落ち込むことなく...

極端に気持ちが揺らがないように、心がけよう。
 中庸が大切

「ほどほど」が最高の幸せ

人生の幸・不幸(心が満たされているかどうか)は、
人の心が作り出すもの
である。

富や財産が豊かにあっても幸せを感じない人はいるし、
貧しくても心は満たされ幸せいっぱいの人もいる。

人はいっぱい抱え込むと、失うものも大きくなる

かといって、失うものすらない極貧生活も悲惨だけど...

いずれにしても「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」。

食事は “腹八分目” ぐらいがちょうど良く、
酒は “ほろ酔い” ぐらいが最も幸せな気分になれる。健康にもいいしね(^^)

そう、「ほどほど」こそが幸せ

足ることを知る」ことが、幸せになる極意なのである。
(『老子』参照)

日はすでに暮れても、なお夕映えは美しく輝き、
歳の末になっても、柑橘の類はよい香りを放っている。

それと同じように、我々の人生も晩年こそが素晴らしい。
晩年にこそ私たちは、一層気力を充実させなければいけない。

晩年こそ輝く!・・・それが真に幸福な人間のあり方である。

「和気」を持って発しよう!

この世界は「気」(エネルギー)でできている。

「気」は、人間同士お互いに感応する

例えば、誰かが、憎悪や敵意に満ちた “殺気” を放っていると、
他人にも感応し、その場は不穏な空気になる。

逆に、穏やかな「和気」を発していると、
その場の空気はなごやかになる。

この「和気」が、人間関係を良好にしていく極意である。

眉間にシワを寄せず、いつも穏やかな笑顔で、
優しい言葉を発しよう。

そして、他人を無条件に信頼し(他者信頼)
他人を喜ばせたり役に立つことをしよう(他者貢献)

こういう気持ちを一人でも多く持っていければ、
自ずから社会は良好になっていくだろう。

静かに、ゆったりと、淡々と...

自分自身を磨くには、鍛錬が必要である。
鉄を鍛錬することで、不純物が取り除かれ、強くなるように。

人も同じで、修養を積んで鍛えられてこそ、強くなれる。

静かに、ゆったり、淡々と...

じっくり時間をかけて自分を磨くのだ。

心が安定した状態で修養を積めば、必ず結果が表れる。

そして、何が起ころうと心が動じなくなる「動中の静」

涅槃寂静 煩悩が消え去った静やかな安らぎの境地

それこそが最強の人間力となるのだ。

「拙」は力なり!

仕事や芸道を極めるには当然、努力が必要だ。

努力して上達していくと、巧くなれる。

しかし、巧みの境地にいる間は、まだ道半ばといえよう。

「巧」には限界がある、その先にあるのは「拙」。

」とは、過剰な装飾や技巧を拝したもののこと。

つまり、なんら作為をせず、あるがままの状態であること。
無為自然

例えば文章にしても、巧みな表現を使うよりも
自然体の素朴な文章のほうが、読み手の心を打つ。

純朴・素朴なものにこそ、力があるのである。

不器用でも、誠実な心を忘れずに努力するものが、
道を極めることができる。

「拙」の境地になれば、無限の可能性が待っているのだ...

 

この記事は、『菜根譚』の教えから学んだこと(のごく一部)を、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、「この考え方、興味深いなぁ、取り入れたいなぁ」
と感じるような内容があれば、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...