思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

「論語」~孔子の教え~

論語」は、中国・春秋時代の思想家「孔子」と弟子たちの言行録である。

孔子による『君子論』といっていいと思う。

君子とは、先頭に立って人を正しい方向に導くリーダーのこと。

孔子のビジョンは、混乱の世の中にあって
「正しい政治を広める」ことだった。

そのためには、一人でも多くの君子が必要である。

君子を多く育てれば、国も正しい方向に向かう。

論語は、そうした「一身独立して一国独立す(※)
という発想の源流ともいえるビジョンを念頭に、

孔子が、数多くの弟子たちに説いた
人間の正しい生き方” についての教えが詰まった書である。

  • 福沢諭吉の言葉。
    一人の立派な人間ができて、それがどんどん増えていくと、
    社会が善くなり、国が善くなる。

君子たるものは...

では、その君子になるための、基本的な “在り方” とは何か?

孔子は、その一つの答えとして

自分で考え、判断できる人間になろう

と説いた。

衆これを悪(にく)むも必ず察し、
衆これを好むも必ず察す。

人のいう事を鵜呑みにしちゃいけない

学んで思わざれば則ちくらし。思うて学ばざれば則ちあやうし。

学ぶだけでなく、自分で考えることが大事
かといって自分で考えるだけでは独善に陥りやすい。

有名な「温故知新」という言葉も、
学んだうえで自分で考えなさい、という教えが込められている。

人生で一番大切なこと

そうした “学びの姿勢” を基本としたうえで、
人生で一番大切なことを、「(じょ)」という一言で表した。

恕とは、日本語に訳すと「思いやり」のこと。

思いやりとは、他者に向けることはもちろん、
自分自身に対しても愛情をかけることである。

自分を愛せない人間は、他人も愛せないよ
というのが孔子の基本的なスタンスといえよう。

つまり、思いやりを持って、他者のエネルギーを高められる
(=自分のエネルギーも高められる)人こそが君子
であり、

一人ひとりがそうした君子になっていくことが、
延いては、社会  国  世界の発展へとつながっていくのである。

金持ちになりたいのであれば...

孔子の教えは、理想論ばかりではない。

例えば、金持ちになりたいという金銭欲を否定していないのだ。

富にして求むべくんば、執鞭の士と雖(いえど)も、
吾れ亦たこれを為さん

もしお金でもって自分の理想が適うならば、
自分は最下底の仕事をやってでも金を稼ぐぞ。

なんてことも言っている一方で、

富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。
其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。

金持ちになりたい、出世したいと考えるのは、
人の欲求だから否定はしないが、
人としての道によって得たものでなければ
すぐに失ってしまうだろう。

そう、あくまで、お金儲けは正しい目的を果たすための手段で、
欲をかなえるのはいいけど、「(じょ)
すなわち “徳を積む” ことを大前提としているのである。

西洋思想との違い

孔子老子荘子などの東洋思想は、西洋思想と違って、
必ずしも善か悪かをはっきり分けない傾向がある。

特に論語の場合は、

こういう考え方が正しいけど、
場合によってはこういう考え方も正しいよね

というような、どっちつかずの言葉が多い。

丁か半かではなく、いわば「じゃんけんぽん」の世界

グーを出して、勝つ場合も負ける場合もあるように、
正解は固定されない

全体としては、中庸的(偏らない)のである。

論語は、色んな解釈ができて、
そのときの自分によって捉え方も変わってくる。

ひじょうに含蓄のある奥深い世界観といえるだろう。

この「じゃんけんぽん」の思想こそが
現代の混沌(試練・逆境)にあって、しなやかにかつ(したた)かに
生き抜いていくための “指針” 
になり得るのかもしれない...

※身に付けたい孔子の言葉・教え

剛毅木訥(ごうきぼくとつ)

「剛」信念を持っている強い心のこと。芯があってぶれない気持ちのことをいう。

「毅」忍耐力決断力があること。どんな困難にもくじけない心のこと。

「木」素朴なこと。見た目が質朴で飾り気がない。無理に見栄を張ったりしない

「訥」口下手なこと。また無口でおしゃべりや言葉を発さない。

※反対語は、巧言令色

中庸(ちゅうよう)

過不足がなく、偏らず、調和がとれていること。
主観的な考えや偏見などで物事をとらえず
客観的視点を持つことが大切である。
そのためには、毎日を正しく過ごすように心がける。

和して同ぜず

自分の意見を主張しつつ、他の人と協調できること。
他人の意見を尊重できるので、喧嘩や言い合いにならない。

※但し、嫌われる勇気をもつことも重要

過ぎたるは猶及ばざるがごとし

度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。
良いと言われることでも、やり過ぎは害になる。 中庸が大切

急いては事をし損じる

物事は焦ってすればするほど、冷静沈着に出来なくなって
失敗しがちである。
だから、焦っている時ほどじっくり落ち着き、考えて対処しよう。

人のふり見て我がふりなおせ

他人のふり(外面に表れた態度や動作)を見て、
良いところがあれば見習い、
悪いところがあれば、自分にも同じように悪いところがないか内省し、
もしあれば改めよということ。

温故知新 (ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る

歴史や過去についてよく勉強し、
その上で新しい知識を身につけられたら、
人に教える立場になれるだろう。
過去は、今の問題を解決する方法を教えてくれるだけでなく、
先を読むヒントを与えてくれるイデアの宝庫である。

文質彬彬(ぶんしつひんびん)

外面の美しさと心の内面の美しさが調和している様子のこと。
人間関係を大切にする、礼儀を忘れないなど
人を思いやる人こそが、一番素晴らしい。

修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)

天下を治めるのは、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、
次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
(自分家庭地域世界・・・抽象度)

子曰く、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。
その道を以って之を得ざれば、処らざるなり。

金持ちになりたい、出世したいと考えるのは、
人の欲求だから否定はしない。
しかし、人としての道によって得たものでなければ
すぐに失ってしまうだろう。(徳を積むのが基本)

子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。

人の上に立つ君子には、言葉の巧みさは必要ない
それよりも、俊敏な行動力が求められる。

子曰く、先ず其の言を行い、而る後に之に従う。

すぐに実行することができ、とやかくいうのは後回しにする、
これこそ君子だ。

子曰く、君子は上達し、小人は下達す。

大人物は、社会的な事柄や道義などの大きな面を重視するようになるが、
小人物は、個人的な事柄や損得などの細々とした面にとらわれるものだ。

子曰く、学びて時に之を習う、亦節ばしからずや。
朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
人知らずしてうらみず、亦君子ならざるや。

大いに学び、適切なタイミングでそれを実践できれば実に気分がよい。
遠方の友や、意見の違う人とも語り合えれば、楽しい気持ちになる。
周りの人がわかってくれなくても気にしない
これこそ立派な人だと思わないか。

過ちて改めざる、是れを過ちと謂う

過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、
これを本当の過ちという。
失敗をおそれていては何もできない。
ただ、失敗したあとこそ大切であるということに気づき、
そこから奮起できた人が成功者である。

子曰く、学んで思わざれば則ちくらし。
思うて学ばざれば則ち危あやうし。

いくら人から知識を教わっても、自分の頭でその内容を考えなければ
自分で咀嚼しないと)十分理解したとはいい難い。
だからといって、自分だけであれこれ思索にふけって、
人の教えを学ぼうとしないのも、独断に陥りやすく危険なことだ。

子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず

私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでも素直に理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった。

 

この記事は、『論語』関連の本などから学んだこと(ポイント)を、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、「この考え方、興味深いなぁ、取り入れたいなぁ」
と感じるような内容があれば、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...