思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

「愛」とは何か?~プラトン哲学~

「愛」・・・なんと “甘美” な響きなんだろう

と感じる人もいれば、

いやいや、「愛」って、なんか “偽善 “くさい

と感じる人もいるかもしれません。

ん~、「愛」っていったい何なの

なんだか “つかみどころがない” 概念ですよね(?)

「愛」という言葉の意味

一般的には、

  • 「愛」とは

    (人や物や社会などの)ある物事を好み、大切に思う気持ち。

というような意味が、シックリくるのではないでしょうか。

もう少し、その言葉の意味を分解してみましょう。

「物事」とは?、もろもろの “” や、一切の有形・無形の “事柄” のこと。

  • 目に見えるや者()だけでなく、
    目に見えない(物や者の内容・本質、例えば価値精神なども含む
    総合的なもの” 

「大切」とは?、重要であるさま。

  • 「重要」とは?、物事の根本にかかわる、非常に大事で大切なこと。

つまり、

  • 「愛」とは

    目に見える物・者だけでなく、目に見えない(本質)も含めて、
    「非常に大事で大切」だと思う気持ち。

というふうに言えると思います。

  • ちなみに、「愛する」とは、「愛」の動詞なので、
    目に見える物や目に見えない事を、「非常に大事に思って大切」にする
    という意味になりますね。

人間が「愛」の感情を抱く理由

では、人間はなぜ、

そうした「愛」という感情・気持ちを抱くのでしょうか?

古代ギリシャの哲学者プラトンは、著書『饗宴』の中で、
(師匠ソクラテスの言葉として)次のように主張しました。

誰であっても欲求する人は、手元にないもの、
現にないものを欲求しているのであり、
つまり “欠けているもの” を欲求するのだ、と。

そして、

(エロス)は、不完全な存在である人間が、
究極の理想の存在へと近づく、最大の援助者
である。

(もう少しわかりやすく言い換えると)
「愛」(エロスとは、自分の欠けたものを得ようとする「力」である

と、プラトンは説いたのです。

  • 古代ギリシャにおける「愛」は、「エロス」と呼ばれました。
    「エロス」とは、ギリシャ神話の “愛の神” のこと。

つまり、プラトンによれば、

「愛」という感情を抱く、すなわち

目に見える物や目に見えない事を
「非常に大事に思って大切」にしたい、と思うのは、

人間は本来、「自分の欠けたものを得たい!」と求める生き物だから

ということになります。

イデア」という概念

ん~、わかったようなわからないような(^^;)...

プラトンが説く「愛」という概念の理解を深めるには、
イデア」という考え方について、知る必要がありますね。

  • イデア」とは

    ある事物における、完全な存在究極の理想の存在のこと。

例えば、下の画像をご覧ください。

(いびつ)だけど、○△□(円、三角、四角)ってわかりますよね。

でも考えてみたら、不思議じゃないですか?

全然 “厳密な形” じゃないのに、なぜ、
円・三角・四角だと認識できるのでしょうか?

本当に厳密(完全)な、円・三角・四角を見たことがないのに

この○△□のように、現実世界に存在するのは、
「どこか歪んだ不完全なもの」ばかりです。

なのに、なぜ私たちは、
その「理想的な完全形」を知っているのでしょうか?

その疑問に対してプラトンは、こう考えました。

ぞれぞれの「理想的な完全形」が
現実世界とは違う別世界に真の姿として存在するのだ」と。

その別世界にある「完全な存在、究極の理想の存在」を、
イデア」と名づけたのです。

  • イデアは、私たちの肉眼で見えるものではなく、
    「心の目」「魂の目」によって洞察される “真の姿” です。

プラトンは、イデア “形あるもの” だけでなく、
概念” にも存在すると考えました。

例えば、

  • 完全で理想的な(善のイデア)」
  • 完全で理想的な(美のイデア)」、
  • 完全で理想的な正義(正義のイデア)」

といったものが、真の姿” として存在する、と。

洞窟の比喩

プラトンは、この自らの学説 “イデア” を説明するために、
「洞窟の比喩」といわれる、イメージ世界で表現しています。

  • 洞窟の比喩

    私たち人間は、生まれた時から、どこかの深く暗い洞窟の奥に住んでいる。
    その体は、手・足・首が縛られており、洞窟の奥の壁を向かされている。

    人間たちの背後には塀があり、その奥になる松明の明かりが、
    塀の上で動かされる人形の影を、洞窟の壁に映し出している。

    人間たちは自分が見ているものが影だとは、全く気づかない
    本物だと信じ込み、その動きをあれこれ考えながら生きている。

    ある時、そのうちの一人が拘束を解かれる。
    彼は後ろを向き、強い光と塀の上で動く人形を見る。

    彼は今まで見てきた影が現実だと思い込んでいるので、
    事態がなかなか飲み込めない。

    しかし次に彼は、洞窟の入口へと連れていかれる。
    そして彼は、外の世界を目の当たりにする。

    最初はあまりの明るさにものを見ることができない。
    しかしついに彼は、自然の姿をハッキリと目にする。
    そして太陽が世界を成り立たせていることを理解する。

    彼は洞窟に再び降りていく。
    そして洞窟の人たちが見ているのは、影に過ぎないことを知る。

    しかし洞窟に繋がれた人たちは、
    彼が説明する世界をまったく信じようとしない。
    逆に男を危険視して、殺してしまうかもしれない...

(私たちが認識している)現実世界と、イデアとの関係

つまり、

私たちが現実だと認識している世界は、実は「影」であって、
本当にこの世に “実在” する真の姿(実体)は「イデアなんだよ

ということなんですね。

  • ちなみに、プラトンの師匠ソクラテスは、
    この洞窟の外側(イデアの世界)にみんなを導こうとしましたが、
    洞窟の内側の人たちから危険視され、殺され(死刑に処され)ました。

愛の階段

以上の「イデア」のイメージを踏まえたうえで、

「愛」というテーマに戻りましょう(^^)

愛の定義” を示した図を、もう一度確認しておきます。

問題は、(右側の)イデアに行き着くためにはどうすればよいか?、ですね。

そのためには「愛」の力が必要になってくるのですが、

段階を踏みながら「愛」をステップアップさせていく必要がある

と、プラトンは『饗宴』の中で主張しています。

これを「愛の階段」と呼びます。

  • 愛の階段

    愛の第一段階①「肉体の美(物質的な美)」を愛すること。

    愛の第二段階②「精神が美しいもの」を愛すること。

    愛の第三段階③「知識の美しさ・正しさ」を愛すること。

    愛の最終段階④「美そのもの(美のイデア)」が訪れる。

最初の段階は “見た目の美しさ” から。

そこからだんだん、心がけや生き方やふるまい、社会の美といった
 “目に見えない美しさ” を愛するようになり、

さらに、正しい知識・思想・哲学を愛し求め続ければ

「完全なる美(美のイデア)」に出会える。

そうした段階を踏んでいくことが、「愛の奥義」に至る正しい道だと、
プラトンは説いたのです。

究極の愛

そうか!

プラトニック・ラブとは、そういうことだったのか!?

現代の一般的な意味では、

肉体的な欲求を離れた「精神的恋愛」のことを、
プラトニック・ラブ(プラトン的な愛)と言いますが、

哲学すること=知を愛し、最終的に「美のイデア」に出会う

プラトニックラブの “本質” は、そこにあったのだと知りました。

イデア」を目指して進む=究極の理想を追い求め続けることこそが、

「人間のあるべき姿」であり、人間として「生きる」ということ。

そうした、人間が人間として「生きる」ための、
根源的な「力」が「愛」。

つまり「愛」とは、生命力の源、生きる力そのものなのです。

その「生きる力」を高めて「生」を輝かせるために、哲学があるのです。

みんな哲学者(知を愛する者)になろう

「究極の愛」に満ちた「イデア」と出会うために...

 

この記事は、『饗宴』や『国家など
プラトン哲学関連の書籍や講義から学んだこと(のほんの一部)を、

自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、プラトンの思想・考え方に興味を持たれたなら、ひとまず、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...