「武士道」(新渡戸稲造)
武士道の精神
武士道とは、戦うことを職業とした武士が
日常生活のなかで行う義務・おきてを示したもの。
その教えを一言に凝縮すると、
勇気を持って正義をこころざし、情けを持ち、
常に誠実(※)であれ!
と言うことができるだろう。
- 誠実とは、私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。
また、「花は桜木、人は武士」
と言われるように、桜の花はまさに武士道を象徴するものである。
我々日本人が愛するのは桜の花だ。
淡い色彩とほのかな香り。
その美しさの下には、刃(やいば)も毒も隠していない。
散り際の潔さは、まさに死をものともしない武士道の精神そのもの。
これが日本の姿なのだと、新渡戸稲造は言っている。
武士が尊ぶ徳目
武士道の骨格は「正義」である。
正義とは、卑怯や不正を憎み、正しいことを行うこと。
武士として正義を貫くことが、自分の命よりも大事だった。
その正義と礼儀に基づいて、主君に「忠義」を果たすことが、
武士道の最高の徳目として位置づけられる。
しかし忠義の先に、実は「名誉」という重要な目的があった。
武士道では、名誉・名声こそが最高の善として尊ばれる。
武士が悪徳とするもの
反面、武士道の最終目的ともいえる「名誉」の “裏” には、
「恥」という観念もあった。
つまり名誉を守るために、恥をかくことが悪徳になったのだ。
この恥をおそれる心は、武士たちに過剰なまでの謙遜を強いた。
その結果、哀しみや苦しみを耐え忍んで、他人に感情を見せない
「克己(※)」という “自己抑制” の精神を植え付けた。
- 克己(こっき):心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること。
武士道をどう受け継ぐべき?
以上のように、武士道の精神は、ひじょうに複雑な様相を呈し、
外国人には理解されにくい面が多々ある。
しかしこの武士道は、現在にいたっても日本人の心に
脈々と受け継がれている。
例えば、2011年東日本大震災の被災者の人たちは、
忍耐強く、秩序を乱さず、弱者への思いやりの姿も見せ、
「静かなる威厳」であると、世界から賞賛の声を浴びた。
この現在の日本人にも根付いている「克己」と「自己犠牲」の精神は、
まさに武士道の美しさだといえよう。
ただし、どんな美徳でも行き過ぎると悪徳になってしまう。
優れた精神は、一方で害を与える “諸刃の剣” になる危険性も否めない。
であるならば、
武士道の美徳を、わが心の基本精神(拠り所)としつつ、
- 恥をおそれず、“リスクに挑戦” する
- 名誉を求めず、自己価値を高めるために “他者貢献” をする
- 自己を犠牲にせず、“主人公” として自分の人生を美しく生きる
といった、
武士道とは異なる(けど親和性の高い)価値観も
貪欲に吸収・統合し、世界観を広げていくことが、
現代日本人の生き方として望ましいのではないだろうか。
- そのためには、リベラリズムと保守思想のような「英知」が必要になると思う。
この記事は、新渡戸稲造の『武士道』から学んだこと(ポイント)を、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。
個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)。
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)
もし、「この考え方、興味深いなぁ、取り入れたいなぁ」
と感じるような内容があれば、
あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...