思想・パラダイムの引き出し

古今東西の思想・哲学・宗教など(教え、ものの見方・考え方)から学んだことを、 自分用に要約して記録した覚書き(忘備録)集。

大衆社会論 ~リベラリズムと保守思想~

大衆とは?

  • 大衆とは、自らを特別な理由によって、
    よいとも悪いとも評価しようとせず、

    自分が “みんなと同じ” だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、

    他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる。

    そのような人々全部である。

スペインの哲学者オルテガは、著作『大衆の反逆』のなかで
「大衆」をそのように定義しました。

大衆は、自主的に判断・行動する主体性を喪失し、
根無し草のように浮遊し続ける “無定形で匿名な集団” ともいえます。

いわば “大量のいわしの群れ” です。

20世紀以降の近代社会では、急激な産業化や大量消費社会の波に洗われ、
人々は自らのコミュニティや足場となる居場所を見失いました。

その結果、もっぱら自分の利害や好み・欲望だけをめぐって
思考・行動をし始め

自分の行動になんら責任を負わず、
自らの欲望や権利のみを主張する
「大衆」が誕生したのです。

大衆化社会の弊害

オルテガは、一世紀近くも前のヨーロッパで、
この「大衆化」に警告を発していました。

大衆が社会の中心へと躍り出て支配権をふるうようになっていくと、
私たちの文明の衰退は避けられない
...と。

まさに現代の日本においても、インターネットやSNSの隆盛もあって、
無定形で匿名な集団” が空気を支配する「大衆化社会」へと、
ますます突き進んでいっているのではないでしょうか。

民主主義は、多数決で意思決定を行うのが基本ですが、
大衆が多数派として影響を持つようになると、
社会全体が凡庸な精神で “均質化” されていきます。

そうなると、秀でた個性は抑圧されるようになり、
自己利益を求め、感情のままに彷徨う(抽象度の低い大衆によって、
民主主義の根幹である自由すらも失われていくのです。

  • 視点が低く、目先の狭い範囲でしか物事をとらえられない

そうした “民主主義の劣化” を食い止めるために、
大衆(的な生き方)から脱却するためにはどうすればいいのか?

その処方箋として、オルテガ
リベラリズム」と「保守思想」の重要性を提唱しました。

リベラリズムとは?

大衆化社会は、多数派が少数派を塗りつぶしてしまう
という危うさを持っています。

その弊害を正すための方策として、
オルテガがまず主唱するのが、リベラリズム自由主義)です。

リベラリズムは、自由を重んじる考え方ですが、
その本質は「異なる他者への寛容」を含んでいます。

つまり、まったく違う考え方や思想であっても
まずは他者を認めていこう、寛容になろう

というスタンスです。

大衆の反逆』で、オルテガはこう述べています。

  • 自由主義は(略)最高の寛大な制度である。
    なぜならば、それは多数派が少数派を認める権利だからであり、
    だからこそ、地球上にこだましたもっとも高貴な叫びである

現実問題として、考え方の違う “他者と共生” することは、
大変に手間のかかる面倒な行為です。

多数派の考えを頭ごなしに押し付けても
相手(少数派)に聞いてはもらえませんから。

合意を形成するためには、礼節やマナーや作法が求められます。

数の力で、自分たちの考え一色に染め上げても、
そうした国家はやがて破綻します。(例:ソ連ナチスドイツ)

他者にも耳を傾け、折り合いをつけながら、
みんなで幸福を追求できる社会を作っていこう
とする、

(まどろこしくも)気高き “英知” を持って
現実に立ち向かうことこそが、リベラリズムなのです。

リベラリズムを遂行できる人間

そうした真のリベラリズムを遂行できる、
つまり、敵や反対者とともに統治していけるような人間のことを、
オルテガは「貴族」と呼びました。

貴族とは、ブルジョアやエリートのことではありません。

ちなみに、大衆も貴族も、階級ヒエラルキーではありません。
生き方” によって区別されるものです。

自分とは異なる人と共に生きていける “粘り強さや克己心” を持ち
しっかりと地に足をつけて社会の中で自分の役割を果たそうとする

そうした生き方ができる人が「貴族」です。

つまり「大衆に迎合せず、大衆と共にある人」ともいえます。

保守思想とは?

オルテガは、現代人は人間の理性を過信しすぎていると警告しました。

人間ははたして万能なのか?

いやいや、どんなに優れた人でも
エゴイズムや嫉妬からは自由になることはできない。
歴史がそれを証明しているではないか。

現在においても過去においても、人間は不完全な存在なのです。

しかしそれでも、長い年月をかけて
先人(死者)たちが築き上げたものがあります。

それが伝統や慣習となって、私たちの現在は支えられています。

保守とは、

人間の不完全性を認めつつ伝統や慣習といった
個人の理性を超えた “経験知” を大切に
していきましょう

という思想です。

ただ単に過去に戻ろうとする「復古思想」ではありません

人間は過去においてもやはり不完全だったわけですから、
常に現在をより良く改善していくことも必要です。

つまり、伝統や慣習(の大事な核となる精神)を守りながら
永遠の微調整をはかっていこう

とするのが、真の「保守思想」なのです。

  • 例えば、和菓子の老舗は、昔と同じ味を維持し続けているのではない。
    基本は守りながらも、時代ごとに人々の好みにあうよう味を変えている。
    「永遠の微調整」をしているからこそ、繁栄が続いているのである。

まとめ

孔子を始祖とする)儒教” の基本的な政治観に、
修身斉家治国平天下」という教えがあります。

天下を治めるには、

まず自分の行いを正しくし  次に家庭をととのえ
 次に国家を治め  そして天下を平和にする

という順序に従うべきである、という意味です。

まずは、自分の行いから...

  • 異なる他者への寛容リベラリズム)」

    礼節やマナー・作法を守って、
    自分とは異なる考えを持つ人の意見に耳を傾けよう

  • 貴族の生き方

    大衆に迎合せず、大衆と共にある人になろう和して同ぜず

  • 真の保守思想

    伝統や慣習の大事な精神を守りつつ、
    異なる他者と共生しながら永遠の微調整」をはかっていこう

そうやって自分の考え・行いを正したうえで
家庭  地域  国  世界へと波及していくよう、
抽象度を上げていく(※)のです。

  •  “抽象度を上げる” というのは、
    大きな括り(高い視点、長い時間軸)で物事をみること。

オルテガが提唱する、リベラリズムと保守思想は、

自分と他者との共生をはかり過去の歴史からも学びつつ
より良き未来に変えていこうとする

極めて抽象度が高い、偉大なる「英知」だといえるでしょう。

 

この記事は、オルテガの『大衆の反逆などから学んだことを、
自分用にまとめて記録した、覚書き(忘備録)のようなものです。

個人的な解釈も入っているので、そのまま鵜呑みにはしないように(笑)
そもそも人に読んでもらうために書いたものじゃないですし(汗;)

もし、「この考え方、興味深いなぁ」と感じるような内容があれば、

あなたの(心の)引き出しに、こっそりと閉まっておいて頂ければ...